幻燈のまち

人生につまづいても、歩ける

久しぶり

半年ぶりに一人じゃない登山をしました。

会社の先輩が興味を持ったみたいで、近くの山に連れて行きました。

仕事以外の場でその人を見ると、ただのおっさんで、詳しくは書けませんが、あまりいいものではありませんでした。

マナーの悪い人はやっぱりいるもので、その場で正しく言えない自分もいたりして、秋の山は気持ちよかったですが、心の中はモヤモヤしていました。

ただ、誰かと歩くことは楽しい。そう思えるのも確かでした。

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昔、女性は山に登らないほうがいいと、そんな時代があったようです。しかし今、山はあらゆる人間に許されて、誰でも好きなように登っています。

そう思うと、私たちがしている登山の歴史というのは、あまり長くないように思います。戦後から今のスタイルの登山が続いているとしたら、100年も経っていない。

今後変わっていくのは、使う山道具のみで、山を歩くということは変わらない。トレイルランのように走る行為があるが、誰もが山に敷かれた道を歩くしかない。それは誰が歩いた道で、それを空想して歩くことも楽しまないと。

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1人でいく

山頂でグループ登山している人たちに出会いました。

賑やかで、煩いし、楽しそうだった。

一人で山に登るようになって半年ぐらい。複数の人と登ることに憧れていたかもしれないが、違うかもしれないと思いました。

一人になりたいから登る。いまはそういう気持ちです。この一人登山も、もとは休職中に運動目的に始めたもの。いまは普通の社会人のように暮らしている。でもこの姿勢を続けている。

賑やかでおしゃべりしながら、騒ぎたい時は誰かと登る。そんな気持ちになったら、自然と友達に誘いをかけると思う。

誰かと歩きたい時は、登山じゃないのかもしれない。それは団体旅行みたいな、もっと違うものだ。私にとって山とはそんなところみたいだ。

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もともと1人

生きてきて32年。生まれた家族をカウントしないとすると、ずっと1人で生きてきた気がする。

今そう思うだけで、高校や大学では友達はいた。だけど今は1人だ。

恋人もいない。3年くらい前に婚活に登録して、そこで半年だけ付き合った?彼女のような存在はいたが、結局いまは1人で山を登っていた。

会社では友達ではないが、仕事仲間はいる。前の会社の同僚やたまに誘ってくれる大学の友達、こちらから連絡すれば多分応えてくれる同級生。書き出せば、いると気づく。

でも今日、山を登っていて、ほんとに1人だった。月曜日の霊仙山は当然というか、誰もいなかった。

 

思ったことは、1人になりたくて登山をしているか、1人で登山をするようになったからずっと1人なのか。登山は1人でするのが楽しくなっているのか。誰かと登りたいのか。趣味を共通する仲間が欲しいだけなのか。ずっとわからない。

ただ登っているときは楽しい。これだけは間違いない。誰もいない自然のなかでじっくり道を歩くことが楽しい。天気がほんとに良く空の青と木々の緑が、自分の目に写ったとき、思わず笑顔になるほど嬉しくなる。誰かと登ってしまえば、これができないのだろうか。

今日は天気が悪く、このままでは寒さで楽しめないと思い、登りの途中で引き返した。次の休みも必ず登る。

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霊仙山にて



知っていると知らない

今登っている山のことは1度登ったことがあるので、理解している。

ここで案内看板があって左に歩いて、登りきったら左に展望良し、奥に行けばさらに展望良し。

また初めての山でも、事前に地図を見ているので、ここがポイントだということが知っている。

 

思ったことは、事前に情報を仕入れておいてから登ることと、なにも知らずに登ることのどちらがいいか。

当然安全な登山で無事に家まで帰ることが最低条件として、他の補足情報、頂上がこんな展望ですとか、植生は、滝があるとか。そういうことを知らないほうが楽しめるかもしれない。なにも頭に入っていないほうが新鮮か。知らない頭のほうがものごとを真っ直ぐ見れるかもしれない。

でも知らないことで、素通りしてしまうと損だ。

どっちがいいか悩む。

ある程度の山や自然の知識を持っていれば、見逃さないだろうか。そうなれば最低条件の知識のみ仕入れておいて、あとは現地で感じるほうが、先入観もなく自分の頭で、目の前のことを判断できる。そのほうが面白い。あとでガイドブックやインターネットでもう一度見れば、答え合わせもできる。

ある程度の知識が必要、やはり知識がないと楽しめない。

 

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これはバイケイソウ

 

 

 

どこでも同じ

どこの職場でも、仕事の上手な人がいて、世話焼きな人がいて、変な人と思われている人がいて、あの人は使えないと裏で噂される人がいて。どこの会社に言っても同じ話題が、昼の休憩場所や職場のなかで出てくる。

不思議です。会社によって人は全く違うはずなのに、話題は一緒。

気にしてはいけないのに、きになってしまう。自分のことではないのに、少し心が悲しくなる。「あの子にやらせれば」とか「正社員なのに」とか。それは本心ではなく、会話をしている中で注目を集めたくて言っているだけなのに。まったくその子に関心なんてないのに。

 

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写真だけはあかるく

 

切断機の前で

私は土曜日も仕事で、たんたんと流れ出てくる商品をきいトレイに移し替えるという作業を半日。昼からは倉庫から原料を出庫して次の作業の準備。

文章にすると、とてもつまらないです。少し悲しくなりましたが、相方のベトナム人が面白いので続けられます。

頭を使う作業ではないので、好きな妄想や考え事をしながら仕事ができます。前の仕事は頭をずっと使うタイプの職種だったので辛かったですが、今は精神的には疲れません。私にはやりやすい仕事だと今は感じています。

考えたことは、趣味があるから仕事ができるということです。私はそういう種類の人間、仕事だけでは生きていけない人です。仕事一筋の人がいますが、あれは生活とか家族を養うとか、仕事に生きがいがあり、仕事を楽にできてしまう人の言葉です。私はそうはいきません、なにごとも優柔不断で根拠のない自信で、家族と仲が悪くて、気持ちが後ろに傾きやすい。

そんな私は登山という趣味がないと、溜まったものを発散するところがない。休日に山に行くから、あの閉鎖された場所で仕事ができる。趣味が大切だと、作業場で思いました。

 

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綿向山です。登りやすくて少し物足りない。